自閉症の息子くんと、いっしょに。(仮)

息子が自閉症&知的障害と診断されて、色々考えることが増えました。家族4人一緒に暮らしながら感じたこと、考えたこと、とりあえず色々残していこうかな、と。

Happy Birthday!!

最近はサウンド絵本がお気に入りの息子くん。

ボタンを押すと音楽や楽器の音、動物の鳴き声が鳴るのが面白いのか、

とにかく何度も何度も何度も何度も繰り返してボタンをいじっている。

どのボタンを押したらどんな音が鳴る、ということまでは理解していないものの、

ひたすらボタンを連打しているうちに時々ちょっとカッコいいリズムになったりして、

何だかよく分からないけどちょっとしたDJのようである。

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そんな 息子くんはこの9月で4歳になった。

去年の同じ時期に書いたブログを読み返しつつこの1年を振り返ってみると、

あまり変わらないところもあり、成長が実感できることもあり。

 

言葉に関しては去年とあまり変わらず。まだ、出ない。喃語のみ。

訴えたいことがこちらになかなか伝わらなくて、イライラしていることも多い。

イライラした時に頭を床に打ち付けることはほとんどなくなって、

代わりに最近は苛立ちMAXの時に唸りながら手をパチパチと叩くようになった。

 

食器を使えないのも変わらず。常に手掴み。

最近は食べる量自体が激減してしまったので、

どんな手段でも良いから少しでも口に入れて欲しい、と祈るような毎日。

比較的打率が良いのは焼きそばとパスタ、ラーメン・・・only麺 without具。

誕生日に張り切って作ったコロッケもガン無視されてお母さんは心折れていたよ。

 

手をつないで歩く、というのはだいぶ安定してきた感じ。

一時期できるようになって、しばらくして嫌がるようになって、最近はまた復活傾向。

地下鉄で30分以上かかる療育園への通園も、バギーを使わず歩いて通っている。

近所に買い物に行く時や、お出かけした先でも概ね大丈夫。

でも突然機嫌を損ねて抱っこをせがむことも多いから、油断は禁物。

 

まだオムツが外れる気配がないのは少々困る。

最近食べる量が減ったとは言え、3歳までの大喰らいが響いてそこそこの巨漢なので、

そろそろ幼児向けのオムツがサイズアウトしそうなのです。

未だに大小問わず排便の後に不快感や違和感を訴えてくることがないし、

意思の疎通が成立しないのでどうやって導いたら良いのかも見当がつかない。

支援学級と支援学校、どちらに行くにしても、

就学までに最低限自分の身の回りのことが自分でできるようになってほしいのだけど、

食事、着替え、排便とも、まだちょっと道のりが長そうかなー。

 

まあ、何はともあれ無事に4歳のお誕生日、おめでとう。

これからも、よろしく。

 

続く。

 

Now Playing:

"ON" by BOOM BOOM SATELLITES, 2006

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支援学級

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祝・優勝!!!

我が広島カープが25年ぶりにぶっちぎりの優勝を果たした余韻も冷めやらぬ昨今、

息子くんはますます断食太郎に拍車がかかっている。

先週も同じようなことを書いていたと思うけど、

相変わらずまあ驚くほど食べない。食べないんですよ皆さん。

マカロニ一本、ドライフルーツ一つまみ、ふりかけご飯一口、蒸しパン一かけら。

食べたものを寄せ集めても多くて一日に大さじ一杯程度。一食ちゃうよ一日ですよ。

その割に元気がなくなるわけでもなく、日々ニコニコと走り回っている息子くん。

一体何からエネルギーを作り出しているのか分からない。

牛乳だけではあんなに持続できないと思うんだけどな・・・。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

閑話休題

最近になって、地域の小学校の支援学級を幾つか見学する機会を持つことができた。

来春には、娘ちゃんが小学生になる。

基本的には指定学区の公立小に通わせるつもりでいるのだけれど、

2年後に息子くんが小学生になる時、支援学級が充実しているところを選ぶとしたら

姉弟で別々の小学校になってしまう可能性もある、ということにふと気づいたのだ。

今住んでいる地域は比較的柔軟に隣接学区の小学校への入学を希望できるので、

それなら今のうちに見られるところを見て、考えられることは考えておこう、と。

現時点での息子くんの障害の程度を見る限り、

支援学級ではなく支援学校を選択せざるを得ない可能性もかなりあるのだけれど。

 

見学した小学校ではいずれも、全児童数の5%程度の児童が支援学級に所属していた。

軽度の子だけではなく比較的重度の障害を持つ子供も通っていて、

それぞれ程度に応じて普通学級と支援学級で過ごす時間の割合が違う、という感じ。

僕が小学生だった頃とはだいぶ状況が変わっているんだなあ。

3~40年前には、明らかな障害を持つ子供は学校にそれほど多くいなかった。

ごく軽い知的障害や肢体障害の子どもが学年に2、3人だったように記憶している。

(ちなみに当時は1学年200人くらいいた中の2、3人だから、1~2%程度だ)

恐らくは中程度以上の障害がある子どもは養護学校に行っていたのだろう。

見えないところに隔離されていたのだなあ、と今にして思う。

 

普通学校で、障害がある子どもも同級生として同じ空間を共有することのメリット。

支援学校で、いずれ社会に出るために必要な訓練を集中して行うことのメリット。

息子くんにはどちらの道を用意してあげるのが良いのだろう。

これから小学校に入るまでにどのように成長していくかは分からないのだから、

今あれこれ考えすぎたところであまり意味はないとは思っているけれど。

 

続く。

 

Now Playing:

"The Unforgettable Fire" by U2, 1984

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ランドセル

来年から小学校に入る娘ちゃん。

いろいろ準備せなあかんことがある中で、とりあえずランドセルを買うことにした。

まだ半年先やん・・・と思いつつ、まあどうせいつかは買うことになるのだし。

 

しかしいつの間にかランドセルってカラフルなものになっててんなあ。

男の子は黒、女の子は赤、以外に選択の余地がなかった僕らの時代とはエラい違いだ。

ここ2ヵ月ほど、何度か店頭に足を運んで娘ちゃんとも相談し続けた結果、

最終的には最初に娘ちゃんが気に入ったものに決めることにした。

 

娘ちゃんが気に入ったランドセルは、

ちょっと僕やヨメはんの感覚とはかけ離れたカラーリングとデザインだったので、

何度かやんわりと軌道修正を試みていたのだけれど、

親のセンスや好みを押し付けるのも何か違うよなあ、と思い、

娘ちゃんの初志を貫徹させることに。

まあ、ちょっと戦略をミスったなあ、という反省はあるので、

今後子供用に値の張るものを買う際には十分に気を付けて行きたいところではある。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

一方の息子くん。

ここ数日、完全に食べないモードに突入してしまった。

特にこの週末はひどかった。もうほとんど断食状態。口にするのは牛乳だけ。

今日口にしたのは炊き込みご飯一口と焼きそばの麺3本、

昨日はフライドポテト1かけらとマカロニ2本。

特に熱があるわけでも体調が悪そうなわけでもなく、

ちょっと不機嫌な時間帯は多いものの、ニコニコしながら部屋中を走り回っている。

それだけ動いてお腹減らんのか?と思うのだけど本人は涼しい顔をしているのだ。

まあ元気そうだから良いと言えば良いんだけれど・・・。

 

続く。

 

Now Playing:

"cult grass stars" by thee michelle gun elephant, 1996

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夏の終わり

あああああ、8月が終わってしまった。

最近空が高くなってきたなあとか、雲の形が秋っぽくなってきたなあとか、

日陰に入ると風が涼しいなあとか感じるたびに少しづつ覚悟はしていたけれど。

一年で一番好きな季節が過ぎ去ってしまうのは幾つになっても寂しいもので。

しかもあっという間に現実に引き戻されて9月には下期の売上計画を出さねばならん。

あああああ嫌だなああああ。

・・・と泣き言を言っていてもはじまらないので、とりあえずこの夏のまとめを。

 

■お出かけ

娘ちゃんが夏休みに入ってからの週末。

近所の神社の夏祭りと天神祭。ひらぱーで流れるプールとオマキャノン。

僕の田舎に帰ってお墓参りやら海水浴やら。

大阪城のウオーターパークと世界のビール祭り。

市立科学館のプラネタリウムATCでやってたキッズサーカス。

ヨメはんの実家に泊まって花火やら虫獲りやら。

今年は一杯活動したなー。

息子くんも浮き輪を使っての水遊びに慣れ、療育でもプールを楽しめるようになった。

月並みだけど、子ども二人のこぼれるような笑顔をたくさん見られて何よりである。

 

■ヤッサ!

今年もウルフルズの「ヤッサ!」に行ってきた。

シングル「バンザイ」から20年、来年はデビュー25周年だそうで。

その間ずーっと我が広島カープは優勝できなかってんなあ、などと思ったりもする。

活動再開してからの、良い意味での力の抜け具合が毎年楽しいこのライブ。

僕とヨメはんにとっては別の意味で、何となく一年の区切りにもなっている。

息子くんが他の子と違うな、と決定的に思ったのが2年前のヤッサ!の日。

保健センターへ相談に行って、病院で診察してもらって、診断が下りて、

療育施設を探して、週4度の母子通園を続けて・・・と続いてきたあれからの日々を、

思い出しながら聴く「ええねん」も「笑えれば」も「バンザイ」も、

なんか沁みるねんなあ。

一年間頑張ったなー、これからも頑張らななー、と。

 

■意思疎通、意思表示

声をかけて振り返る、視線が合う、気分の良い時にじゃれてくる、

名前を呼んで顔の前に手を差し出すとそっと手のひらを合せる、

そういう行動が増えてきているのは前にも書いた通り。

この夏になってできるようになった、というよりは以前から少しづつ。

お風呂に行く時など、声をかけてついてくるだけではなくて、

「ドア開けてー」と言うと自分で取っ手を持ってドアを開けられることも。

療育でも、遊びが楽しくてもう一度やりたいと思った時、

あるいはちょっと嫌になって外に出たいとか、気分を変えたくなった時、

少しづつその時の感情に応じた意思表示ができるようになりつつある。

 

■食欲

一時期の落ち込みからは回復基調だけど、やっぱり食べる量は減った。

でも時々何の前触れもなく大食らいになる時があり、

そんな時は空になった茶碗を両手でもって首をかしげながらこちらに突き出してくる。

めちゃくちゃかわいい。

 

■来年のこと

今通っている療育施設はスタッフの皆さんも熱心だし専門家(プロ)だし安心だけど、

ちょっと通園の負担が大きいのも事実。片道50分くらいかかるし。

週4で母子通園しているヨメはんもさすがにちょっとしんどいようなので、

来年は家の近所の施設に移ろうかとも考え始めている。

そこでふと気づいたのが来年から娘ちゃんが通う小学校のこと。

何の疑問もなく学区の公立小に行かせるつもりでいたのだけれど、

考えたらその学校の支援学級の状況ぐらいは調べておいた方が良いよなあ。

あまり支援学級の児童がいなくて上手く機能していないようなら、

息子くんは隣の学区の小学校にした方が良い、ということにもなりかねないし、

そうなると姉弟で別の小学校になって色々不便なことも起きかねない。

 

今全く想像できていないけど、これから娘ちゃんと息子くんが大きくなるにつれ

「あーこういう事態が起きるかー!」ということも多々あるのだろう。

とりあえず小学校のことは近々開催される学区説明会に行ってみるとして。

他にはどんなことがあるのかなあ。

 

続く。

 

Now playing:

"Savage Garden" by Savage Garden, 1997

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みみぎょうざ

息子くん、最近やたらと耳を触っていることが多い。

やわらかい耳をぎゅっと、耳の穴を塞ぐ感じで押し付けて、ずーっとそのままでいる。

何かの拍子に手を放しても、そのまま耳で耳を塞ぐ状態でぺたっとくっついている。

特に音に対する過敏症があるわけでもなさそうなのだけど、

多分耳をぎゅーっとすることで感じる音とか感触が心地いいんだろうか。

 

こだわりなのか何なのか、一度気に入ったことはかなり長いこと続ける息子くん。

耳をいじり始めるともうそこから手を離さなくなってしまう。

あんまり耳をいじりすぎるせいで、この前見たら耳の後ろの皮膚が赤くかぶれており、

ちょっと薬でも塗ったろうと思って手を耳から引き離そうとすると強く抵抗したり。

最近覚えた「ごあいさつ」をしようと、名前を呼んで顔の前に手を出してみたら、

しばらく考えた末に、耳から手を離さずに肘をこちらに突き出して来たり。

机に突っ伏して二の腕に耳を押し付けて寝ているところにおやつを出すと、

そのままムクリと起き上って空いた手で食べ始めたり。

(もう片方の手は姿勢よく挙手しているような感じになるのだ)

なんかもう、笑ける。

 

 続く。

 

Now playing:

"SCREAM" by Ozzy Osbourne, 2010

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夏休みも折り返し

気がついたら8月も半ば。

夏休みも折り返しを過ぎて、もうあっという間に9月がやってくる。

 

今年はちょっと意識してなるべく活動的に夏を過ごしていて、

こんなにもまともに動き回っている夏は何年ぶりだろう、という感じ。

息子くんも娘ちゃんも日々楽しく過ごせているようで何よりである。

とりあえず備忘録代わりに、このひと月ほどの出来事などを。

 

・久しぶりの診察

 近くの総合病院で久しぶりの診察。

 前にも書いたけれど、数か月おきに経過を診てもらうという程度の診察であり、

 さらに毎年のように担当医が代わってしまうので、

 結局2、3回に1回のペースではじめての先生にイチから息子くんの状態を

 説明することになる。

 カルテは引き継がれているとはいえ、も一つ意味があるのかないのかピンと来ない。

 まあ、定期的に専門医に診てもらっているという安心感を得るというところか。

 

・夏祭り

 7月の終わりは近所の神社のお祭り、天神祭と立て続けに夏祭り。

 近所のお祭りでは子ども会でお神輿をひっぱって町内を練り歩く。

 息子くんも今年から子ども会に入ったので、お神輿に同行させてもらう。

 といっても他の子ども達みたいにお神輿をひっぱることはできないので、

 バギーに乗って後ろからついていくだけだけれど。まあ、気分だけでも。

 

・プールとか海水浴とか

 7月末にひらぱー、8月に入って帰省ついでに昨年と同じ沼津の人工ビーチ、

 先週末は大阪城のウオーターパークと、3回も泳ぎに行った。

 ここ数年の新記録。もうお父さん日焼けで真っ黒けです。

 息子くんも最初は嫌がっていたけれど、ひらぱーの途中からは水に慣れてきて、

 こちらが支えてあげれば浮き輪でぷかぷかと楽しそうに遊べるようになった。

 療育施設でもこの季節は水遊びがメインになるのだけれど、

 そちらでも徐々に楽しく遊べるようになっている模様。

 無邪気にきゃっきゃとはしゃいでいる様を見るのはこちらも楽しい。

 

最近は全体的に、名前を呼びかけた時にちゃんと振り向けるようになったり、

視線を合わせてくれる頻度が上がったり、息子くんの方からじゃれてきたりと

コミュニケーション能力が大分上がってきたようだ。

着替えの時に自分で服を脱ぐ/着るアクションもだいぶ増えてきた。

今まで自分から寄って行くことが無かったお姉ちゃんにも近づいて行って、

髪の毛をいじってみたりちょっと手を触ってみたりと、

息子くんの方からの働きかけが増えてきた。

 

やっぱり、ゆっくりでも成長しているんだな。

この調子で残りの夏休み、楽しく過ごしながらできることが更に増えると良いな。

 

続く。

 

Now Playing:

"Riff Rough" by Hiroyuki Hanada, 1990

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事件を受けて、思うこと。

最初に、犠牲になられた19名の方々のご冥福と、傷ついた方々の一日も早い回復を、改めて心からお祈りします。

 

※今日は長いです。重いです。すみません。苦手な人はスルーしてください。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

あれから1週間以上が経つけれど、やっぱりどうしようもなく悔しい。悲しい。「障害者は生きる値打ちがない、無駄だ」と犯人は日頃から主張していたという。「いなくなればいい」、「役に立たない」、「安楽死させるべきだ」とも。こんなコメントを引用してキーを打つだけで指が震える。悔しくて息が詰まる。どうしてこんな勝手な、反吐が出るような言い分を振りかざす卑劣漢のせいで19人もの命が奪われなくてはいけなかったのか。26人もの人が傷を負わなくてはならなかったのか。

 

値打ちがあるとかないとか、役に立つとか立たないとか、議論するのも馬鹿馬鹿しい。大体、「役に立つ」って何だよ。値打ちの有り無しって何なんだ。役に立たなかったら生きる価値はないのか?違う。絶対に違う。どんな命だって等しく尊いはずだ。それが白々しく聞こえるなら、綺麗ごとにしか思えないと言うのならこう言い換えたっていい。「少なくともお前なんかの勝手な思い込みで一方的に踏みにじられていい命なんか、この世にただの一つだってない」と。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

僕たちの息子くんは自閉症スペクトラム障害知的障害を抱えている。まだ3歳(もうすぐ4歳)でこれからどのように成長してくれるかはわからないけれど、少なくとも現時点で言葉は出ないし食事は手掴み、オムツだって外れていない。障害の程度は決して軽くない。だから将来やまゆり園のような施設にお世話になることを、いつか真剣に考えなくてはならなくなる可能性は低くないし、正直に言えば今の時点で少しずつ心の準備をしはじめている。だから今回の事件は本当に人ごととは思えず胸が苦しいのだ。犠牲になられた方々、傷ついた方々に一方的にぶつけられた悪意と敵意は、いつか息子くんにぶつけられるかもしれない悪意と敵意だから。

 

息子くんは確かにちょっと重めの障害を抱えている。犯人の言う「生きる価値のない障害者」に該当するのかもしれない。だけど、だけどな、僕たちは一度だって、一瞬だって、息子くんのことを「いなければよかった」なんて思ったことはない。絶対にない。絶対にないんだ。

僕たち夫婦が、是非にと祈ったことでこの世に降り立ってくれた命だ。それが定型の枠に入らないからって、それがどうした。だからなんだ。別に綺麗ごとを言っているわけでもええかっこしいで言っているわけでもなく、否定することなんて毛の先ほども思い浮かばなかったし、それは今でも1mmも動いていない。

もちろんこれからしんどい思いをすることはたくさんあるだろう。近所から好奇の目で見られることもあるかもしれない。障害を持つ弟くんがいることで娘ちゃんがからかわれたり虐められたりしないだろうか。健常の子に較べて医療や福祉サービスを受けるために多くの費用がかかることになるのだろう。そういうことはもちろん考えた。一つ一つクリアしていくしかないけれど、心配事は尽きない。思い通りにいかずにイライラすることだってある。だけど息子くんの顔を見るたびに、やっぱり「うちに来てくれてありがとうな」って、毎日、毎日思っている。そんな大切な命を軽んじるような物言いを、僕は絶対に許すことはできないのだ。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

犯人の思考の一部を正当化するかの如く、動物には知的障害は存在しない、という意見もあちこちで目にした。そんな弱い個体は生き残ることができないから淘汰される、本来の自然はそうあるべき、なのだそうだ。それが科学的に正しい見解なのかどうか僕は知らない。一見もっともらしい主張にも聞こえるけれど、「健全な魂は健全な肉体に宿る」的な、歪んで誇張されたマッチョ思考が産んだ似非科学でしかない気もする。大体動物の知的障害の有無ってどうやって診断するのだろう。知能指数って人間の知能年齢を示す尺度じゃないのか。そんなに簡単に動物に適用できるのか。どうなんだ。

 

仮にその主張が正しかったからと言って、だから何なのだろう。そういう野生状態を脱して人間は社会を作ったのではないのかしらん。社会契約説だったっけ。万人の万人に対する闘争状態からの脱出、みたいな。うろ覚えだけど。

斜に構えてこの手の主張をする人は、威勢よく極端な意見を断言することでヒロイックな陶酔感を得ているのかもしれないね。俺はお前ら愚民とは違うんだよ、世の中の本当の真理を見抜いているんだよと。そうすることを好む人はいつだって一定数いるのだ。それを人は中二病とも呼ぶのだけれど。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

もう一つ触れておきたいことがある。幾つかのメディアに踊る、「被害者の実名を報道できないことはおかしいのではないか」との論調だ。これは本当に我慢できない。

本名も含めて被害者の人となりを詳しく報じることで事件の重大性を訴えるべきだ、とか。障害があるから遠慮して報道しない、そのこと自体が差別なのではないか、とか。

これももうね、本当に「ふざけるな」ですよ。この文をメディア関係の方々が読むことは恐らくないだろうけれど、こういう意見を恥ずかしげもなく掲げるジャーナリストども、全員耳元をひっつかんであらん限りの大声で怒鳴りたい。「ふざけるな」と。「調子に乗るな」と。

 

都合のいいことばかり書くよな、本当に。匿名で取材に応じた被害者の家族が「本名を隠すことで亡くなった家族の人生を否定しているのではないかと悩んでいる」とか。明らかに記事全体のトーンが「警察が被害者の氏名を公表しないことでこのような問題が!」みたいな方向に誘導する気満々。卑しい。ここはお得意の両論併記とやらでカウンターの意見もちゃんと載せろよ。マスコミがあることないこと書き立てたせいで暮らしをめちゃくちゃにされた被害者の恨みつらみもきっちり取材して報道しろよ。政治家相手にはいつだって両論併記の腰の引けた報道しかしてないくせに。

 

被害者の氏名がないと成立しない報道なんて絶対にありえない。お涙頂戴の下らないドラマにしたてて悲劇性を強調する必要なんてどこにもない。そんな記事でなければこの事件を伝えることができないような記者ならその無能を恥じて筆を折るべきだ。被害者が障害者だろうが健常者だろうが、クラスの人気者だろうが友達が一人もいない引きこもりだろうが、大企業で将来を嘱望されるエリート社員だろうが交際相手から巻き上げた小遣いでギャンブルに興じるヒモだろうが、そんなことを報じる必要は爪の先ほどもない、と僕は思う。そんなことを「知る権利」なんて誰にもないし、ましてや記者風情が錦の御旗のように掲げる筋合いのものではない。どんな事件でも被害者は匿名で良いのだ。被害者や遺族が自らの意志で名乗るならばもちろんそれは尊重されるべきだけど、それを外野が強いることは許されるべきではない。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

僕たちはいつまで、息子くんと一緒に過ごせるだろうか。いつか息子くんが施設に入る日が来るとしたら、それまでに何を息子くんの中に残してあげられるだろうか。本当ならいつまでも息子くんと一緒に過ごしたい。一つ一つ生活に必要なことを教えながら、トレーニングしながら、できないことは何だって助けてあげたい。だけど親である僕たちはいつか、息子くんを遺して逝かなくてはならない日が来る。その時に息子くんを、初めて世界に一人きりで放り出すわけにはいかないのだ。だから僕たちの身体が十分に動くうちに、息子くんにもう一つの世界を、少しでも安心できる世界を用意してあげなくてはならないのだ。そのために僕たちには何ができるだろうか。息子くんだけではない、同じような障害を抱える人たち全てにとって、少しでも安心できる世界を作るために、僕たちには何ができるだろうか。泣いている暇は、ないのだ。