自閉症の息子くんと、いっしょに。(仮)

息子が自閉症&知的障害と診断されて、色々考えることが増えました。家族4人一緒に暮らしながら感じたこと、考えたこと、とりあえず色々残していこうかな、と。

昔の話(反省文)

うららかな春の休日ですが、出張のため新幹線で移動中です。あう。

ここ2、3日非常に体調が悪く、昨晩は死んだように12時間ほど爆睡してました。

寝汗たっぷりかいて熱も下がってかなり回復はしたけれど、

正直今日は休みたかった・・・

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さて。今日は少し昔の話を。

小学生の頃、実家の近所に、ちょっと変わった子がいた。

集団登校で一緒の班の、3つか4つ年下の子だった。仮にAくんとしておく。

Aくんは時々奇声をあげたり、こちらの言うことが全然通じなかったり。

ニコニコ笑っていたかと思うと、突然泣きながら走り出したり。

今にして思えば、発達に何らかの問題を抱えていた子だったかもしれない。

そしてAくんには、お兄ちゃんが一人いた。僕の一つ下の子だった。

 

30年以上前の話。

自閉症発達障害という概念が、今以上に正しく理解されていなかった頃。

周りの大人達がAくんを評して言う言葉は、今よりもっと遠慮のないものだった。

要するに「差別用語」的な言い回しが平然と使われていた、ということ。

そんな環境にいた僕たちも、深く考えることなくそんな言葉を使っていた。

 

僕たちは時々、Aくんをからかった。馬鹿にしたこともあった。

具体的にどんなことをしたのかはほとんど覚えていないけれど。

自分達とは明らかに異質で、Aくんより年下の子にもできることができず、

あまり会話が通じないAくんに、幾つもの失礼なことをした。

そんな時、Aくんのお兄ちゃんは決まって、仲間には入らず(当たり前や)、

少し寂しそうな、諦めたような顔で遠くから僕たちを見ていた。

 

誓って言うけれど、物理的な暴力をふるったことなど一度もないし、

常識的に考えて許されないようないじめをしたこともない。

そもそもド田舎の、直径500mくらいの中に納まる数軒で構成される登校班である。

親も子供も(多少仲が良い悪いはあるけど)皆知り合い。

その中で問題を起こせばすぐバレて、その日の晩にはこっぴどく叱られる。

だけど小学校高学年になって少しずる賢くなった僕たちは、

問題にならない程度に時々、Aくんをからかっていた。

 ※ここで言う「常識的」という言葉が非常に曲者であることは理解しています。

  軽い気持ちでからかっただけ、ちょっと「いじった」だけ、なんて言っても、

  それが相手の心に深い傷を残すことだってある。

  後にいじめられる立場に立ったこともある僕自身、痛感しています。  

 

Aくんの家庭は、ちょっと変わった宗教を信仰していた。

ご近所さんを勧誘したりはしていなかったけれど、ちょっと孤立気味の家庭だった。

子どもがいる大抵の家が加入している子ども会にも入っておらず、

だから地域の夏祭りとかちょっとした行事にも参加していなかった。

不思議に思って親に聞いてみると、「宗教の関係で子ども会には入らないんだって」

という、よく分からない回答が返ってきたことがあった。

 

今となっては事実は分からないけれど、

Aくんは僕の息子くんと同じように、自閉症知的障害があったのかもしれない。

ご家庭が新興宗教に入っていたのも、Aくんに何らかの障害があることがきっかけで

藁にもすがる思いがあってのことだったのかもしれない。

子ども会の行事に参加しなかったのも、Aくんやそのお兄さんにとって

それが楽しいよりむしろ嫌なことになると思ったのかもしれない。

30年以上経ってその可能性に思いが至るというのも情けない話ではあるけれど。

 

あの頃僕が、Aくんやそのお兄ちゃんに向けて投げかけた失礼なことばの数々。

無遠慮な視線。配慮のないふるまい。いわれのない憐憫。

それらが全て、これから息子くんや娘ちゃん、ヨメはんや僕に向けて戻ってくる。

息子くんや娘ちゃんが負けないように、守ってあげなあかん。

社会の中にしっかりと関わって暮らしていけるよう、育てていかなあかん。

周りの環境が二人を押しつぶさないように、少しずつ整えていかなあかん。

そう思うとともに、30年以上前の日々を振り返って深く反省しています。

Aくん、Aくんのお兄ちゃん、あの時は本当にごめんなさい。