自閉症の息子くんと、いっしょに。(仮)

息子が自閉症&知的障害と診断されて、色々考えることが増えました。家族4人一緒に暮らしながら感じたこと、考えたこと、とりあえず色々残していこうかな、と。

夏の終わり

あああああ、8月が終わってしまった。

最近空が高くなってきたなあとか、雲の形が秋っぽくなってきたなあとか、

日陰に入ると風が涼しいなあとか感じるたびに少しづつ覚悟はしていたけれど。

一年で一番好きな季節が過ぎ去ってしまうのは幾つになっても寂しいもので。

しかもあっという間に現実に引き戻されて9月には下期の売上計画を出さねばならん。

あああああ嫌だなああああ。

・・・と泣き言を言っていてもはじまらないので、とりあえずこの夏のまとめを。

 

■お出かけ

娘ちゃんが夏休みに入ってからの週末。

近所の神社の夏祭りと天神祭。ひらぱーで流れるプールとオマキャノン。

僕の田舎に帰ってお墓参りやら海水浴やら。

大阪城のウオーターパークと世界のビール祭り。

市立科学館のプラネタリウムATCでやってたキッズサーカス。

ヨメはんの実家に泊まって花火やら虫獲りやら。

今年は一杯活動したなー。

息子くんも浮き輪を使っての水遊びに慣れ、療育でもプールを楽しめるようになった。

月並みだけど、子ども二人のこぼれるような笑顔をたくさん見られて何よりである。

 

■ヤッサ!

今年もウルフルズの「ヤッサ!」に行ってきた。

シングル「バンザイ」から20年、来年はデビュー25周年だそうで。

その間ずーっと我が広島カープは優勝できなかってんなあ、などと思ったりもする。

活動再開してからの、良い意味での力の抜け具合が毎年楽しいこのライブ。

僕とヨメはんにとっては別の意味で、何となく一年の区切りにもなっている。

息子くんが他の子と違うな、と決定的に思ったのが2年前のヤッサ!の日。

保健センターへ相談に行って、病院で診察してもらって、診断が下りて、

療育施設を探して、週4度の母子通園を続けて・・・と続いてきたあれからの日々を、

思い出しながら聴く「ええねん」も「笑えれば」も「バンザイ」も、

なんか沁みるねんなあ。

一年間頑張ったなー、これからも頑張らななー、と。

 

■意思疎通、意思表示

声をかけて振り返る、視線が合う、気分の良い時にじゃれてくる、

名前を呼んで顔の前に手を差し出すとそっと手のひらを合せる、

そういう行動が増えてきているのは前にも書いた通り。

この夏になってできるようになった、というよりは以前から少しづつ。

お風呂に行く時など、声をかけてついてくるだけではなくて、

「ドア開けてー」と言うと自分で取っ手を持ってドアを開けられることも。

療育でも、遊びが楽しくてもう一度やりたいと思った時、

あるいはちょっと嫌になって外に出たいとか、気分を変えたくなった時、

少しづつその時の感情に応じた意思表示ができるようになりつつある。

 

■食欲

一時期の落ち込みからは回復基調だけど、やっぱり食べる量は減った。

でも時々何の前触れもなく大食らいになる時があり、

そんな時は空になった茶碗を両手でもって首をかしげながらこちらに突き出してくる。

めちゃくちゃかわいい。

 

■来年のこと

今通っている療育施設はスタッフの皆さんも熱心だし専門家(プロ)だし安心だけど、

ちょっと通園の負担が大きいのも事実。片道50分くらいかかるし。

週4で母子通園しているヨメはんもさすがにちょっとしんどいようなので、

来年は家の近所の施設に移ろうかとも考え始めている。

そこでふと気づいたのが来年から娘ちゃんが通う小学校のこと。

何の疑問もなく学区の公立小に行かせるつもりでいたのだけれど、

考えたらその学校の支援学級の状況ぐらいは調べておいた方が良いよなあ。

あまり支援学級の児童がいなくて上手く機能していないようなら、

息子くんは隣の学区の小学校にした方が良い、ということにもなりかねないし、

そうなると姉弟で別の小学校になって色々不便なことも起きかねない。

 

今全く想像できていないけど、これから娘ちゃんと息子くんが大きくなるにつれ

「あーこういう事態が起きるかー!」ということも多々あるのだろう。

とりあえず小学校のことは近々開催される学区説明会に行ってみるとして。

他にはどんなことがあるのかなあ。

 

続く。

 

Now playing:

"Savage Garden" by Savage Garden, 1997

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みみぎょうざ

息子くん、最近やたらと耳を触っていることが多い。

やわらかい耳をぎゅっと、耳の穴を塞ぐ感じで押し付けて、ずーっとそのままでいる。

何かの拍子に手を放しても、そのまま耳で耳を塞ぐ状態でぺたっとくっついている。

特に音に対する過敏症があるわけでもなさそうなのだけど、

多分耳をぎゅーっとすることで感じる音とか感触が心地いいんだろうか。

 

こだわりなのか何なのか、一度気に入ったことはかなり長いこと続ける息子くん。

耳をいじり始めるともうそこから手を離さなくなってしまう。

あんまり耳をいじりすぎるせいで、この前見たら耳の後ろの皮膚が赤くかぶれており、

ちょっと薬でも塗ったろうと思って手を耳から引き離そうとすると強く抵抗したり。

最近覚えた「ごあいさつ」をしようと、名前を呼んで顔の前に手を出してみたら、

しばらく考えた末に、耳から手を離さずに肘をこちらに突き出して来たり。

机に突っ伏して二の腕に耳を押し付けて寝ているところにおやつを出すと、

そのままムクリと起き上って空いた手で食べ始めたり。

(もう片方の手は姿勢よく挙手しているような感じになるのだ)

なんかもう、笑ける。

 

 続く。

 

Now playing:

"SCREAM" by Ozzy Osbourne, 2010

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夏休みも折り返し

気がついたら8月も半ば。

夏休みも折り返しを過ぎて、もうあっという間に9月がやってくる。

 

今年はちょっと意識してなるべく活動的に夏を過ごしていて、

こんなにもまともに動き回っている夏は何年ぶりだろう、という感じ。

息子くんも娘ちゃんも日々楽しく過ごせているようで何よりである。

とりあえず備忘録代わりに、このひと月ほどの出来事などを。

 

・久しぶりの診察

 近くの総合病院で久しぶりの診察。

 前にも書いたけれど、数か月おきに経過を診てもらうという程度の診察であり、

 さらに毎年のように担当医が代わってしまうので、

 結局2、3回に1回のペースではじめての先生にイチから息子くんの状態を

 説明することになる。

 カルテは引き継がれているとはいえ、も一つ意味があるのかないのかピンと来ない。

 まあ、定期的に専門医に診てもらっているという安心感を得るというところか。

 

・夏祭り

 7月の終わりは近所の神社のお祭り、天神祭と立て続けに夏祭り。

 近所のお祭りでは子ども会でお神輿をひっぱって町内を練り歩く。

 息子くんも今年から子ども会に入ったので、お神輿に同行させてもらう。

 といっても他の子ども達みたいにお神輿をひっぱることはできないので、

 バギーに乗って後ろからついていくだけだけれど。まあ、気分だけでも。

 

・プールとか海水浴とか

 7月末にひらぱー、8月に入って帰省ついでに昨年と同じ沼津の人工ビーチ、

 先週末は大阪城のウオーターパークと、3回も泳ぎに行った。

 ここ数年の新記録。もうお父さん日焼けで真っ黒けです。

 息子くんも最初は嫌がっていたけれど、ひらぱーの途中からは水に慣れてきて、

 こちらが支えてあげれば浮き輪でぷかぷかと楽しそうに遊べるようになった。

 療育施設でもこの季節は水遊びがメインになるのだけれど、

 そちらでも徐々に楽しく遊べるようになっている模様。

 無邪気にきゃっきゃとはしゃいでいる様を見るのはこちらも楽しい。

 

最近は全体的に、名前を呼びかけた時にちゃんと振り向けるようになったり、

視線を合わせてくれる頻度が上がったり、息子くんの方からじゃれてきたりと

コミュニケーション能力が大分上がってきたようだ。

着替えの時に自分で服を脱ぐ/着るアクションもだいぶ増えてきた。

今まで自分から寄って行くことが無かったお姉ちゃんにも近づいて行って、

髪の毛をいじってみたりちょっと手を触ってみたりと、

息子くんの方からの働きかけが増えてきた。

 

やっぱり、ゆっくりでも成長しているんだな。

この調子で残りの夏休み、楽しく過ごしながらできることが更に増えると良いな。

 

続く。

 

Now Playing:

"Riff Rough" by Hiroyuki Hanada, 1990

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事件を受けて、思うこと。

最初に、犠牲になられた19名の方々のご冥福と、傷ついた方々の一日も早い回復を、改めて心からお祈りします。

 

※今日は長いです。重いです。すみません。苦手な人はスルーしてください。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

あれから1週間以上が経つけれど、やっぱりどうしようもなく悔しい。悲しい。「障害者は生きる値打ちがない、無駄だ」と犯人は日頃から主張していたという。「いなくなればいい」、「役に立たない」、「安楽死させるべきだ」とも。こんなコメントを引用してキーを打つだけで指が震える。悔しくて息が詰まる。どうしてこんな勝手な、反吐が出るような言い分を振りかざす卑劣漢のせいで19人もの命が奪われなくてはいけなかったのか。26人もの人が傷を負わなくてはならなかったのか。

 

値打ちがあるとかないとか、役に立つとか立たないとか、議論するのも馬鹿馬鹿しい。大体、「役に立つ」って何だよ。値打ちの有り無しって何なんだ。役に立たなかったら生きる価値はないのか?違う。絶対に違う。どんな命だって等しく尊いはずだ。それが白々しく聞こえるなら、綺麗ごとにしか思えないと言うのならこう言い換えたっていい。「少なくともお前なんかの勝手な思い込みで一方的に踏みにじられていい命なんか、この世にただの一つだってない」と。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

僕たちの息子くんは自閉症スペクトラム障害知的障害を抱えている。まだ3歳(もうすぐ4歳)でこれからどのように成長してくれるかはわからないけれど、少なくとも現時点で言葉は出ないし食事は手掴み、オムツだって外れていない。障害の程度は決して軽くない。だから将来やまゆり園のような施設にお世話になることを、いつか真剣に考えなくてはならなくなる可能性は低くないし、正直に言えば今の時点で少しずつ心の準備をしはじめている。だから今回の事件は本当に人ごととは思えず胸が苦しいのだ。犠牲になられた方々、傷ついた方々に一方的にぶつけられた悪意と敵意は、いつか息子くんにぶつけられるかもしれない悪意と敵意だから。

 

息子くんは確かにちょっと重めの障害を抱えている。犯人の言う「生きる価値のない障害者」に該当するのかもしれない。だけど、だけどな、僕たちは一度だって、一瞬だって、息子くんのことを「いなければよかった」なんて思ったことはない。絶対にない。絶対にないんだ。

僕たち夫婦が、是非にと祈ったことでこの世に降り立ってくれた命だ。それが定型の枠に入らないからって、それがどうした。だからなんだ。別に綺麗ごとを言っているわけでもええかっこしいで言っているわけでもなく、否定することなんて毛の先ほども思い浮かばなかったし、それは今でも1mmも動いていない。

もちろんこれからしんどい思いをすることはたくさんあるだろう。近所から好奇の目で見られることもあるかもしれない。障害を持つ弟くんがいることで娘ちゃんがからかわれたり虐められたりしないだろうか。健常の子に較べて医療や福祉サービスを受けるために多くの費用がかかることになるのだろう。そういうことはもちろん考えた。一つ一つクリアしていくしかないけれど、心配事は尽きない。思い通りにいかずにイライラすることだってある。だけど息子くんの顔を見るたびに、やっぱり「うちに来てくれてありがとうな」って、毎日、毎日思っている。そんな大切な命を軽んじるような物言いを、僕は絶対に許すことはできないのだ。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

犯人の思考の一部を正当化するかの如く、動物には知的障害は存在しない、という意見もあちこちで目にした。そんな弱い個体は生き残ることができないから淘汰される、本来の自然はそうあるべき、なのだそうだ。それが科学的に正しい見解なのかどうか僕は知らない。一見もっともらしい主張にも聞こえるけれど、「健全な魂は健全な肉体に宿る」的な、歪んで誇張されたマッチョ思考が産んだ似非科学でしかない気もする。大体動物の知的障害の有無ってどうやって診断するのだろう。知能指数って人間の知能年齢を示す尺度じゃないのか。そんなに簡単に動物に適用できるのか。どうなんだ。

 

仮にその主張が正しかったからと言って、だから何なのだろう。そういう野生状態を脱して人間は社会を作ったのではないのかしらん。社会契約説だったっけ。万人の万人に対する闘争状態からの脱出、みたいな。うろ覚えだけど。

斜に構えてこの手の主張をする人は、威勢よく極端な意見を断言することでヒロイックな陶酔感を得ているのかもしれないね。俺はお前ら愚民とは違うんだよ、世の中の本当の真理を見抜いているんだよと。そうすることを好む人はいつだって一定数いるのだ。それを人は中二病とも呼ぶのだけれど。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

もう一つ触れておきたいことがある。幾つかのメディアに踊る、「被害者の実名を報道できないことはおかしいのではないか」との論調だ。これは本当に我慢できない。

本名も含めて被害者の人となりを詳しく報じることで事件の重大性を訴えるべきだ、とか。障害があるから遠慮して報道しない、そのこと自体が差別なのではないか、とか。

これももうね、本当に「ふざけるな」ですよ。この文をメディア関係の方々が読むことは恐らくないだろうけれど、こういう意見を恥ずかしげもなく掲げるジャーナリストども、全員耳元をひっつかんであらん限りの大声で怒鳴りたい。「ふざけるな」と。「調子に乗るな」と。

 

都合のいいことばかり書くよな、本当に。匿名で取材に応じた被害者の家族が「本名を隠すことで亡くなった家族の人生を否定しているのではないかと悩んでいる」とか。明らかに記事全体のトーンが「警察が被害者の氏名を公表しないことでこのような問題が!」みたいな方向に誘導する気満々。卑しい。ここはお得意の両論併記とやらでカウンターの意見もちゃんと載せろよ。マスコミがあることないこと書き立てたせいで暮らしをめちゃくちゃにされた被害者の恨みつらみもきっちり取材して報道しろよ。政治家相手にはいつだって両論併記の腰の引けた報道しかしてないくせに。

 

被害者の氏名がないと成立しない報道なんて絶対にありえない。お涙頂戴の下らないドラマにしたてて悲劇性を強調する必要なんてどこにもない。そんな記事でなければこの事件を伝えることができないような記者ならその無能を恥じて筆を折るべきだ。被害者が障害者だろうが健常者だろうが、クラスの人気者だろうが友達が一人もいない引きこもりだろうが、大企業で将来を嘱望されるエリート社員だろうが交際相手から巻き上げた小遣いでギャンブルに興じるヒモだろうが、そんなことを報じる必要は爪の先ほどもない、と僕は思う。そんなことを「知る権利」なんて誰にもないし、ましてや記者風情が錦の御旗のように掲げる筋合いのものではない。どんな事件でも被害者は匿名で良いのだ。被害者や遺族が自らの意志で名乗るならばもちろんそれは尊重されるべきだけど、それを外野が強いることは許されるべきではない。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

僕たちはいつまで、息子くんと一緒に過ごせるだろうか。いつか息子くんが施設に入る日が来るとしたら、それまでに何を息子くんの中に残してあげられるだろうか。本当ならいつまでも息子くんと一緒に過ごしたい。一つ一つ生活に必要なことを教えながら、トレーニングしながら、できないことは何だって助けてあげたい。だけど親である僕たちはいつか、息子くんを遺して逝かなくてはならない日が来る。その時に息子くんを、初めて世界に一人きりで放り出すわけにはいかないのだ。だから僕たちの身体が十分に動くうちに、息子くんにもう一つの世界を、少しでも安心できる世界を用意してあげなくてはならないのだ。そのために僕たちには何ができるだろうか。息子くんだけではない、同じような障害を抱える人たち全てにとって、少しでも安心できる世界を作るために、僕たちには何ができるだろうか。泣いている暇は、ないのだ。

事件

言葉が出ない。息が苦しい。こんなに酷い事件なんて見たくなかった。

せめて犠牲になった19人の方々が安らかに眠れますように。

 

決して軽くない知的障害を抱えた息子くんと暮らす僕たち家族にとって、

この事件は決して他人事ではないのだ。

 

色々考えることはあるけれど、それは改めてまとめるとして、

今日この日のことを決して忘れずにいよう。

考えたくも思い出したくもない事件だけど、絶対に忘れないようにしようと思う。

 

デイサービス

ここ最近、発達支援デイサービスの施設を幾つか見学に行っている。

元々、週の平日のうち4日は療育施設に通っているのだけれど、

残る1日はヨメはんが家で家事を片付ける傍らで息子くんは所在なく過ごすしかなく、

よく考えたらちょっともったいないよなあ、ということで。

 

いつもの療育とは違う環境に入って、違った刺激を受ける場を持つことで

息子くんの成長にも何かプラスの影響があるかもしれないし。

ヨメはんも少し息子くんと離れた時間を作ることで、溜まった家事を片付けるなり、

ちょっと出かけて一人の時間を持ったりして気分転換できるメリットもあるし。

 

と思って探してみると、結構近くにデイサービスの施設がたくさんあって少し驚いた。

最近になって色々参入する業者が増えたりしていることもあるのだろうけど、

自分が子どもを持つ前、また息子くんが発達に問題を抱えていることが発覚する前は、

こういうサービスが世の中に存在すること自体、全く意識していなかった。

自分事として捉えることで、見える景色って大きく変わってくるなあ。

 

程度の差こそあれ、同じような問題を抱える子どもが生活圏内に少なからずいること。

そんな子どもをサポートしてくれる人が大勢いること。

それを実感できるだけでも意味があることだと思う。

息子くんがこれから生きていく世界を少しでも「生きやすい」ものにしていくために、

少しでも多くの糸を張り巡らせていくことが親の務めなのだし。

 

どこの施設にお世話になるかはまだ決めていないけど、

身の回りの情報、利用できるサービス、もっともっと調べながら、

息子くんが楽しく過ごせそうな場所を少しでも増やしていこう、と思った。

 

続く。

ごあいさつが!

ここ数日、嬉しいできごとが一つあった。

息子くんが通っている療育では、一日の始まりに先生が名前を呼んだときに、
言葉でお返事が出来ない子(こういう子が多い)には、先生が手のひらを見せて、
そこに子どもが手を重ねるように導く、という一連の挨拶があるのだけれど。

ヨメはんがふと家で機嫌良さそうにしている息子くんにこれを試したところ、
なんと結構な確率で、ちゃんと手を重ねることができるようになってきてるがなこれ!
療育ではほとんどできないことが多いみたいだけど、ちゃんと覚えてるがなこれ!

視界に入って、目をしっかり見て、「息子くん!」と呼びかけて手のひらを見せると、
ゆっくり手を重ねてくる。
手のひらを重ねてくる時もあれば指先でちょん、と触るだけのこともあるけれど、
呼びかけに対して応えてくれるというのはめっちゃ大きな進歩!

おかあさんの呼びかけにも、僕の呼びかけにも、そして娘ちゃんの呼びかけにも。
コツを外さずに呼びかければ大体答えられるようになっている。
小さな一歩やけど、ゆっくりゆっくりの一歩やけど、
見てきたことや聞いたこと、息子くんの中に積み重なってきているねんな・・・と実感。

「ほんまや!できた!」と笑顔で喜んでくれた娘ちゃん。
そうやな。ここから始めて、少しづつでも一緒に遊べるようになるといいな。

以前に較べてテンションが低い日が多くなった息子くん。
気がつくと30分とか1時間ぐらい、ほぼ微動もせずにぼんやりしていることもある。
食卓についても、時々牛乳を飲みつつ食べ物には全く手を付けず一言も声も上げず、
今日は食べないんかな・・・と思った矢先に突然食べ始めてみたりと予測がつかない。
そんな中で突然初歩的な意思疎通ができるようになって、驚くやら嬉しいやら。

できるようになったことがしばらくして消えてしまうことも多い息子くんだけど、
今回の「ご挨拶」はしっかりと息子くんの中に根を下ろしてくれるといいな。
そこから少しづつ、小さな葉っぱや花が増えていくといいな。

続く。